白黒学派

Monochrome School

同じ獄

一本足の蛸で、三浦俊彦の『ラッセルのパラドックス』が引用されているが、「二人の人物が同じ言語を共有できない、いや、同一人物ですら時刻が違えば同じ獄で同じ意味を表現できない。」という言葉の「獄」は「語句」なのではないだろうか。しかし、その前に誤植の話をしているから、これは引っかけの可能性もありえます。その速断は括弧に入れ、別の可能性を検討してみよう。考えられるのは、実はこれも実際の誤植であること。もうひとつは、意図してこのような本文を三浦俊彦が書いたということだ。となれば、なんと詩的な表現だろうか。僕は後者であることを願ってやまない。

ここで多くの方が連想しているだろうが、今月に発売された竹本健治『虹の獄、桜の獄』の題が頭に浮かんだ。建石修志の荘厳な絵とともに、竹本健治の目眩く色彩の悪夢が幕開く一作だ。「七色の犯罪のための絵本」と書き下ろしで、「しあわせな死の桜」が収録されています。冒頭からあの少年が登場するのだから、竹本健治愛好家は必須の本といえるでしょう。貴族的な午後にゆっくりと読む予定にしているので、また読んではいません。あせって読みたくはないのです。

といいつつも、ついつい「紫は冬の先ぶれ」を読み終えました。「同一人物ですら時刻が違えば同じ獄で同じ意味を表現できない」という呪われた世界が、やはりそこにはあったのです。