白黒学派

Monochrome School

ネコソギラジカル(上)読了。

ネコソギラジカル (上) 十三階段 (講談社ノベルス)

上中下巻と予定されている内の上巻を読了。この巻は闇口崩子萌えの一言につきる。以上。以下余談。西尾維新の面白さは一見、個々の登場人物の破天荒な人格造形にあると思われがちで、実際そうであるものの、さらに分析してみれば、その人格を表現するために奇矯な展開と、小気味よい語感にこそあるといってよい。文体と云うよりは、語感といったほうがしっくりくる。

それらはしばしば印象的な場面を描くため、予想外の台詞を語らせるため機能している。そして奇矯な展開と、小気味よい語感のこの感覚は、再三指摘されていることを繰り返すのだが漫画の文法にほかならない。ユリイカ西尾維新特集に僕も参加させていただいており、あの企画はすばらしくよかったと思っている一方で、やはり年齢の高い人たちが、彼らの持っている言語領域で西尾維新を解釈、分析しているという印象を強く抱いた。出自がメフィスト賞であるため、小説としての成り立ちを分析するのは当然なのだが、その一方で疑似漫画としての検証が必要だと思う。以上の話はまたどこかであらためてすると思う。というかここでは字数が足りない。

あと西尾維新独特の言い回しは今回もたいそうおもしろい。ただ、その言い回しを支えている概念の定義を、登場人物同士が共通理解しているのは、読者として違和感を感じる。かっこいいと思う一方で、ちょっと無理があるなと感じるところも散見できた。もちろんいちいち概念の定義をしていったら物語を加速させるどころか減速させてしまうから、それは仕方がないとは思うし、実は僕とは違ったところで語感の面白みを感じている読者がいるかもしれない。だから念のため一例を書いておこう。「運命」や「未来」という概念を「物語」という言葉で彩りつつ表現するという手法自体はおもしろいと思うが、その改変の仕方を「誤植」として表現するのは登場人物一人に限定した方が「異形の能力者」としての演出としては、より魅せられるのでないだろうか。結局みんな「戯言遣い」のバリエーション違いでしかないという身も蓋もない感想を回避するためには。

余談その二。14頁のアフォリズムめいた一言をヒロシの芸として読んでしまった人が僕以外にもいたようで一安心。

余談その三。今回の竹の挿絵ですが、誰かに似ているなあと自分の脳内画像検索をしていて、それが「工業哀歌バレーボーイズ」の村田ひろゆきであることが判明。

余談その四。これを読んで、どこだか忘れましたが、実は裸エプロンよりも水着エプロンの方が萌えるということに衝撃を覚えたことを思い出しました。確か、1ヶ月ぐらい前です。なんの漫画だったかなぁ。まあ、全く気がつく必要のないことですけれども……。

余談その五。斎藤は相変わらず、辛辣なことを書いています。舌を巻いてしまいますなぁ。

http://sto-2.que.jp/200502_2.html#14