白黒学派

Monochrome School

「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」第88回

もう88回です。あと2回で、三冊目分です。プロップの『物語の形態学』を批判的に引用しつつ大塚英志に対して反論しています。僕と近い年代はむろん、さらに下の年代にこそ読んでいただきたい。まさに「かつて僕たちだった僕たち」と、そして「いま僕を生きる僕たち」のことについて書かれているからです。それがどこが正しくて、どこがずれているか、それを検証してほしい。そういった反響こそ、今後の批評シーンを変えていくはずだからです。

変なたとえですがガンダムSEED DESTINYって、「いま僕を生きる僕たち」にメッセージがちゃんと届いているのでしょうか?そしてそれは正しいものなのでしょうか。とあるところで、Zガンダムで描かれた間違ったやり方の変奏という指摘があります。それは、とても納得ができました。それでも僕は知りたい。そのメッセージは届いているのでしょうか。またはどのように誤配されているのでしょうか。これはもはや制作者の意図は超えていることです。そこが知りたい。

ちなみに、かつて僕は「ミネルヴァ」の連載に対してこんなこと(http://www.alles.or.jp/~tsuruba/minerva.htm)を書いています。