白黒学派

Monochrome School

世代論めいたこと

書経験として、僕がそもそも書評を書こうとしたきっかけは、確とした読書経験の差異をまざまざと認識されられることが多かったからでした。実際のところ、その差異は読書だけではなくアニメや映画、女性の好みから衣食住まで、大概のことはそういうくくりでとらえています。こればっかりは、変えられない。事例としては、「大塚英志」的な現状の認識と「東浩紀」的な現状の認識の違いがいい例かと思います。
ふたりは同じ対象のことを話しているはずなのに、しばしば前提からすれ違ってしまう。

ただし、すべてが後天的な経験できれいに区分できるわけではないことは重々承知しています。もっと重層的な、ミルフィーユみたいな経験の層が影響していると思いますし、また経験以外のものも影響としてあるでしょう。さらには層として三次元的なものをイメージしていますが、そういった外部の認識ではない一種の抽象的なシステムとしての影響もあると思います。

長くなりそうなので、簡単に書きますと、ひとつの対象を観察した結果が、同一になるということは奇跡的なことなのです。もちろん近似値的に近くなることはあるにしても。またまったく違うということも奇跡的なことだと思います。この揺らぎをどのように言語化するかが、まあ、僕の前に高い壁となってるわけですね。

では、どこからはじめるか。その方法として学生のころに選んだのが「現象学」だったわけで、現状のアカデミックな状況はもう知りえませんが、その選択自体は納得しているしだいです。