白黒学派

Monochrome School

竹本健治トークショーレポート

 さる2012年9月19日。「ビリビリ酒場」で行われた「竹本健治デビュー35周年&『かくも水深き不在』刊行記念トークショー」に行ってきました。




 トークイベントそのものの話をする前に一言。


 竹本さんはミステリ作家として長い活動を続けている中で、いくつかのトークイベントに参加された実績があるものの、それらは他の作家さんがメインで話すことが多く、竹本さんご本人が積極的に話すようなことはほとんどありませんでした


 その竹本さんが、このたびオンリーでトークイベントを開催するということは、とても珍しいことなのです。「ひょっとしたらもう二度とないかもしれないぞ」竹本健治ファンをそれなりに続けてきた僕は思ったものでした。


 開催場所である「ビリビリ酒場」は、新宿三丁目から迷わなければ5分で着く距離。ちなみに僕は見事、迷いました。これから「ビリビリ酒場」に行く方は、くれぐれも地図をよく確認してください。ちゃんこ屋さんのわきにある階段を上がった先が会場です。


 さて、トークイベントは、書評ライターの福井健太さんが竹本さんのこれまでの作家経歴をふりかえるかたちではじまりました。まずはデビュー作『匣の中の失楽』から。


匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)


 そもそも作家、中井英夫の紹介で竹本さんはデビューしたわけですが、竹本さんの話では、その中井さんは『匣』の原型となった習作の小説は読んでいなかったそうです。竹本さんが同人誌に発表した「夜は訪れぬうちに闇」を読んだだけでデビューをすすめるとは中井さんの眼力もおそろしいものです。


 その中井さんの推挙によって探偵小説の牙城たる雑誌「幻影城」に連載が決まり、竹本さんはあわててそれまで書いてきた習作を原型に『匣の中の失楽』の構成を考え、連載を開始したということでした。連載第1回が1977年4月号で、翌年の2月号まで10回掲載でした。


 同年の1978年、『匣』は単行本として刊行。刊行後の反響は、竹本さんの印象では泡坂妻夫さんや連城三紀彦さんの作品は好意的だったけれど、『匣』は時代遅れなものとして扱われていた感じだったとのことです。今となっては信じられないことですね。


 当時の印象をふまえて、福井さんからするどい質問が飛びました。いわく、今はミステリにおける四大奇書のひとつと扱われるようになったことに対し、竹本さんご自身はどのようにお考えか、と。この質問に対し、竹本さんは「そんな評論家的なことは君が考えることだよ」と。温厚な竹本さんにしては珍しいご発言でした。


 続いて『匣』の次の連載にと準備されていた『偶という名の惨劇』の話。初稿としてあげた数百枚は「幻影城」編集長の島崎さんに没にされ、そのままお蔵入りとなっているというのはよく知られた話かと思います。ただ、その内容はいままで公にはなっていなかったのですが、今回その内容がはじめて明らかになりました。竹本さんの話では、その作品のテーマは神代文字」を真正面から扱ったミステリだったそうです(会場では誰もつっこんでいませんでしたが、それって竹本さんの『クレシェンド』に繋がっているかもしれないと個人的には思いました)。


 『偶という名の惨劇』が刊行されぬまま、雑誌「幻影城」は休刊してしまい、竹本さんはとあるエージェントから声がかかり、別の出版社で第二作を刊行します。それが『囲碁殺人事件』でした。


 この作品のあとに『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』とゲームをテーマにすえたミステリを書き続け、これらは「ゲーム三部作」とされています。このあたりでやっとトークに参加しはじめる、もうひとりの登壇者の宮内悠介さん。トークイベントがはじまって約20分、お疲れさまでした。ちなみに宮内さんはデビュー作『盤上の夜』がいきなり直木賞にノミネートされるなど、大活躍中の作家さんです。そのデビュー作も麻雀や囲碁を題材にしているので、このたびの登壇と相成ったとのことでした。


盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)


 当時の『囲碁殺人事件』の反響について、竹本さんの印象では「『匣』はたまたま書けただけでしかなかった」というネガティブなものだそうです。これまた、にわかには信じられないことです。


 次に『トランプ殺人事件』の執筆経緯の話になりました。この作品は暗号ミステリでもあるのですが、竹本さんのお話では、暗号が先に完成し、そのあとから暗号に合うストーリーを考えたとのこと。そこで宮内さんが「アレが暗号に合うストーリーだと思ったんですか?」とつっこんで、笑いに包まれる会場。確かに僕もそう思います。


 ここで、なぜか漫画家を志望していた話になりまして、竹本さんの公式サイトにあるマンガ作品(こちら)以外にもまだ未発表のものがあるそうです。どこかの出版社さん、まとめて刊行されないでしょうか……


 続いて『狂い壁 狂い窓』の思い出を話したあと、『腐蝕』と『クー』、「パーミリオンのネコ」シリーズといったSF作品を続けて刊行していた頃の話になりました。竹本さんいわくSFはマンガや映画で覚えたとのことで、当時ほとんどSF小説を読んでいなかったそうです。読んでいたのは2、3作だけとか。


 ちなみに紹介写真にあったトクマ・ノベルス・ミオ版の「パーミリオンのネコ」シリーズはすべて帯つきで、こっそり狂喜乱舞しておりました(だって、はじめて見たんですもん)。


 『クー』は三部作にしたかったそうですが、今は二作目までで、刊行してくれる出版社を募集しているそうです。ただ、そもそも三部作といっても設計図をしっかり引いて書いているわけではないとのこと。ここで竹本さんは恐ろしいことをおっしゃいます。


 「匣ですらその場のやっつけ仕事」と。


 あのような超絶的な作品がやっつけ仕事だとは…… そのあとに、創作の根幹にあるものとして「自分を裏切るように書きたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。この言葉は『匣』から、現在の作品まで通じるものがあると思いました。


 『カケスはカケスの森』、『ツグミツグミの森』は、その昔、竹本さんが書いた詩のワンフレーズからとっており、この二作で完結しているものの、注文があれば次も書かれるとのことです。この「注文があれば書きます」はこのトークイベントで繰り返し、宣言されていましたね。


ツグミはツグミの森

ツグミはツグミの森


 次はマンガ「入神」、『凶区の爪』、『妖霧の舌』『緑衣の牙』(旧『眠れる森の惨劇』)についてさらりと。この「入神」は本邦初の囲碁マンガで、綾辻行人さんや京極夏彦さんをはじめ有名無名を問わず多くのアシスタントとして招いたことで話題になりました(ちなみに僕もアシスタントとしてスミ塗りをさせていただきました)。


 そして、この次は『匣』に匹敵する問題作『ウロボロス偽書』からはじまる「ウロボロス」シリーズの話。宮内さんが「ウロボロス」に出たかったとの発言に対し、福井さんが強く「いいことないよ!」と切り返して、会場が笑いに包まれる一幕あり。『ウロボロスの純正音律』を読めば、その理由がよくわかります。


 このあたりのやりとりで、竹本さんはしばしば「だったと思うけどなぁ」といった言葉や、「僕の記憶では、ない」といった言い回しをされていて、「記憶の齟齬」や「認識のずれ」をテーマにすえる竹本さんならでは、というべきでしょう。やはり、こういうニュアンスはお会いしてみないとわからないものです。


 続いて『キララ、探偵す。』からはじまる「キララ」シリーズですが、さらりと流されてしまいました(ちなみに僕、文庫本で解説を書いています。たいへん面白いメイドロボSFミステリなので、どうぞよろしくお願いします。オープンステマです)。

キララ、探偵す。 (文春文庫)

キララ、探偵す。 (文春文庫)


 『クレシェンド』『闇に用いる力学』もさらりと流されて(ちなみに『クレシェンド』が「単発」作品と紹介されていてそれはそうではあるものの、実は別シリーズのキャラが登場するのはここだけの秘密です)、『虹の獄、桜の獄』『閉じ箱』『フォア・フォーズの素数』といった短編集の話。


 『虹の獄、桜の獄』はアンファンテリブルもので、萩尾望都ブラッドベリの影響が強いとのこと。あともうひとり漫画家らしい名前があがったのですがよく聞き取れませんでした。残念。『閉じ箱』『フォア・フォーズ』では、小学校の頃から科学少年で、後に相対性理論量子力学に出会ったことが作品に反映されているとのことです。


 あとお母様に怪談を話してもらってから寝るという習慣があったそうで、それほど怪談好きで耐性もあったというのに、楳図かずおにトラウマを植え付けられてしまったそうです。


 長編短編の創作についても話題にあがり、『匣』もそうですが、長編は高校時代の250枚ぐらいが最大枚数だったので、長編を書くときは短編を繋いでいこうという意識で書かれたそうです。そこで名前のあがった作家が栗本薫。雑誌「幻影城」の同期であった栗本さんの長編作家ぶりに感嘆しておられました。竹本さんの認識では、ご自身は短編作家だそうです。


 そして新刊の『かくも水深き不在』と『汎虚学研究会』の話題。そもそも『かくも水深き不在』が最新刊で、そのため企画されたのがこのトークイベントだったそうなのですが、その後、『汎虚学研究会』が刊行されてしまったそうです。


かくも水深き不在

かくも水深き不在

汎虚学研究会 (講談社ノベルス)

汎虚学研究会 (講談社ノベルス)


 その後の予定として『匣の中の失楽』の愛蔵版の話がありました。幻影城版と現行版がセットになったもので、『幻影城の時代』に載った『匣』のサブストーリーともうひとつ書き下ろしのサブストーリーが収録されるそうです。


 以上で、竹本さんの著作遍歴の話を終え、休憩の後、会場にいらっしゃっていた東京創元社の小浜さんと大森望さんが客席から擬似的な司会役となるフリートークとなりました。


 そこでは主に宮内さんの話題となり、少年自体は内気なパソコン好きで、ミステリを読みはじめたのは「金田一少年の事件簿」の異人館村殺人事件」とのこと。竹本さんのミステリ作品を読み始めたのもそのあたりだそうです。その後、「入神」を読んで囲碁にはまったというから、何と縁の深いことか。


 竹本さんの話題もいくつかあがり、『トランプ殺人事件』で登場人物が覚える離人症的なエピソードは実話だという話が印象的でした。大森さんが、現実認識の齟齬を描く竹本健治の住む世界がそのころから決定づけられたなどという指摘もありました。


 そのなかで、またも竹本さんにとてもいい言葉がありました。「世の中にいろいろなルールがあって、得てして人はルールを読み違えるものだ」そうです。『匣の中の失楽』を書いた竹本さんならではというべきでしょう。


 以上、たいへん和やかに、かつ濃密な2時間のトークを終え、その後は、懇親会と相成りました。そこでもいろいろと興味深い話をうかがえたのですが、それは参加されたみなさんだけの秘密ということでお願いします。直接お会いして作家の言葉を拝聴できるということは、理解が深まって実によい体験だと実感しました。

 というわけで、竹本さん、福井さん、宮内さん、おつかれさまでした(あと、この長文レポを読んでいただいた読者の方もおつかれさまです)。




(それと、このレポート以前に、「オタクな一口馬主」さんのところに詳細なレポートがありました。ぜひ、こちらもお読みいただければと思います。また、いくつか参考にさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます)